沖縄の代表的なお墓
『亀甲墓(きっこうばか・かーみなくーばか)』
一番代表的な形で屋根が亀甲形をしているものです。
17世紀ごろ中国大陸から伝来したとされ、本島中南部に多く建てられました。台湾や福建省にも同じようなお墓を見ることが出来ます。
亀甲墓は母親の子宮の形をイメージしたもので、この世に生を受けてから一生を終えて子宮に戻る、ということを意味しているようです。
亀甲墓の前には祭祀に使われる広いスペースの前庭があり、旧盆や清明際(シーミー)では家族がそろって食物を供え、お酒やご馳走を出す宴会が開かれます。
中には、お墓の前が屋根付きの広場になっていて、雨天でも雨を気にせずにお参りできるように造られているものもあります。
現在はコンクリート製の亀甲墓の風化が進んできたため、石製への建て替えが増えているほか、
少子化などによる管理上の問題や火葬が主流になったこともあり、以前より小型化してきているようです。
『破風墓(はふばか・はふうばか)』
屋根が破風型(三角形)となっているものです。
破風とよばれる屋根が、風や雨を防ぐ役割を果たしています。
観光名所になっている破風墓
・玉陵(たまうどぅん)玉陵は、那覇市首里金城町にあり、琉球王国の歴代国王が祀られています。
世界遺産に認定されており、沖縄県内では最大の破風墓です
・幸地腹門中(こうちばらもんちゅう)のお墓
幸地腹門中は、糸満市にあり沖縄県内最大の共同墓です。
共同墓の中でも、幸地腹門中は門中墓(むんちゅうはか:父系の血縁集団のみの墓)に分類されます。
このように琉球墓は、ご遺体やお骨を納めるスペースが必要なため、台風からお墓を守るため、親族がたくさん集まるために大きな造りになったようです。