大仏さまについて その3

今回も日本にどんな大仏さまが居るのかご紹介していきたいと思います。

上野大仏

上野大仏(うえのだいぶつ)は、現在の東京都台東区上野恩腸公園内にあった大仏さまです。1631年戦乱に倒れた敵味方の冥福を祈るために、越後国村上城主の堀直寄公によって建立されたのが起源になります。当初は漆喰によってつくられましたが、木食浄雲(もくじきじょううん)という僧侶により、高さ6メートルの釈迦如来(座像)に改められました。幕末の上野戦争、その他地震や火災に何度も見舞われ、辛くも被害を免れていましたが、関東大震災により、ついにお顔が落ちてしまいました。その後保管されていた大仏は、再建される計画もありましたが、残念ながら復元されることはなく、第二次世界大戦の金属類回収で胴体が供出されてしまいました。

現在では顔面部のみがレリーフとして保存されています。胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で「合格大仏」とも呼ばれ受験生らが祈願に訪れています。現在の所在地は上野精養軒に隣接する大仏山という丘の上にパコタ様式の祈願塔と志納所が併設され、祀られています。パコタとはもともと仏塔を意味する英語で、日本にあるものはミャンマー様式の仏塔となります。薬師如来のご真言である「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」という言葉を、パコダの周りを一周する間に7回唱えて歩きます。この唱えは、痛いの痛いの飛んでいけという意味があるそうです。名実ともに加護の歴史を感じられるパワースポットですので、是非お参りに訪れてみてください。

仏手

京都市東山区の東南、伏見区と境を接するあたりにある東福寺。このお寺にも大仏さまが祭られています。

924年に藤原忠平によって建てられた法性寺の巨大な伽藍(がらん)がありました。(現在この法性寺は、JR京阪東福寺駅近くに小寺院として存続しています)1236年、九条 道家(くじょう みちいえ)は、この地に高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する大寺院を建立することを発願し、そのお寺が現存する東福寺となりました。お寺の名前は奈良の東大寺と興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」としたそうです。5丈の釈迦像を安置する大仏殿の建設工事は1239年から始められ、1255年に完成しましたが高さ5丈の本尊釈迦像は1319年の火災で焼失し、14世紀半ば頃に再興されますが、1881年の火災で再び焼失してしまったようです。そんな大きな火災に見舞われながらも、大仏さまの一部が救い出され東福寺の本堂に安置されています。

それが「仏手」と言われる旧本尊釈迦像の左手です。現存部分は指先から手首までで、全長は約2メートルほどです。この左手は創建時の旧本尊(1代目)のものではなく、14世紀に再興された旧本尊(2代目)のものと言われています。仏像が表す手の形にもそれぞれ意味があり、この左手は「与願印」(よがんいん)と呼ばれ、相手の願いを聞き届けようという姿勢を表しています。機会があれば死線を乗り越え、凝縮されたハンドパワーのご利益を授かりたいですね。

まごころ価格のハンドブック

ハンドブックで選ぶお墓のオーダーメイド

伝統的な和型やスタイリッシュな洋型デザイン。
そして世界各国をはじめ日本から厳選された高品質みかげ石を組み合わせて、世界にひとつだけのオリジナル墓石をお作りすることができます。
まずは無料ハンドブックをお取り寄せください。