大仏さまについて その2

今回も日本にどんな大仏さまが居るのかご紹介していきたいと思います。

日本寺大仏

日本寺大仏(にほんじだいぶつ)は、正式名称「薬師瑠璃光如来」と称し、千葉県安房郡鋸南町の日本寺にあり、1783年(天明3年)に岩を彫刻して建立された大仏さまです。
日本寺の起源は、725年に聖武天皇の祈願により、仏教の布教活動をしていた奈良時代の僧、行基(ぎょうき)を中心に開山され、当時は法相宗に属されていました。857年に当時第三代天台座主になった円仁(えんにん)が入寺したことにより、天台宗の寺院となりました。その後真言宗を経て、江戸幕府三代将軍徳川家光の治世に現在の曹洞宗に改宗したとされています。

日本寺大仏は、当時石工だった大野甚五郎英令が門弟27名とともに3年かけて彫刻され、身の丈は8丈(約24.24メートル)、台座も合わせると9丈2尺(約37.88メートル)程の大きさがあったと言われています。建立後長年の雨風により浸食・風化が進み江戸時代末期には著しい破損が発生して崩壊状態にさらされ、1966〜1969年(昭和41〜44年)に仏師:八柳恭次を中心に修復が行われましたが、以前の崩壊箇所の関係から、現在は原型より7メートル低い約31メートルとなっています。

その他、大野甚五郎英令らが生涯をかけて彫刻した、1553体の羅漢像「東海千五百羅漢」や、その名の通り百尺ほどの高さがある「百尺観音」が崖岩に彫刻されていたり、大仏さま以外にも歴史的な彫刻物が多い日本寺を一度は訪れてみたいものです。

聚楽園大仏

愛知県東海市にある聚楽園大仏(しゅうらくえんだいぶつ)は、実業家の山田才吉によって計画・建立され、現在は東海市指定名勝(芸術や鑑賞としての価値が高い日本の文化財)とされています。

対照となった仏さまは阿弥陀如来の坐像、高さは18.79メートル、この大きさは青森県青森市にある昭和大仏(21.35メートル)の次に日本で大きい大仏さまということになります。建立者である実業家の山田才吉が仏教事業に尽くすのは聚楽園大仏が初めてではなく、仏骨の名古屋奉安(覚王山日泰寺)、名古屋市内大龍寺の五百羅漢出開帳、名古屋市内大龍寺の移転などいくつ携わってこられたようです。

聚楽園大仏は鉄筋コンクリートにより作られていますが、ここにも山田才吉の経験が込められており、かつて山田才吉が経営していた東陽館を火災、南陽館と名古屋教育水族館を水害で失ったことがあり、火にも水にも負けないものをということで鉄筋コンクリート(人造石)造りの大仏を考えたとされています。そして、これまで建ててきた巨大建築である東陽館や南陽館に続き、この聚楽園大仏に名古屋を世界に示すための役割を持たせたいという思いもあったようです。

仏教と名古屋を愛する実業家の熱意が込められた珍しい大仏さまでもありますので、他には無いユニークなご利益が受けられるかもしれませんね。

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