まごころアドバイザーサポート日誌
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2024.3.23

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まごころアドバイザーサポート日誌

皆様も年に数回は、お墓参りに行く機会がおありだと思います。
お花やお菓子の供物はどういう物が良いのかと、質問をいただく事は多いのですが、お墓参りの手順についてはご存知でしょうか。今回は基本的な手順をご紹介いたします。

お墓参りの手順

清める
墓地に着いたら、まず手を洗い清めます。
それから手桶に水をくみ、お墓に向かい、合掌礼拝してから掃除を始めます。
用意しておいた水をひしゃくなどですくい、丁寧にお墓へかけていきます。そのあと、墓石についたこけや、汚れを雑巾や歯ブラシなどで取り除いていきます。生えている雑草や枯草などがあれば、引き抜くか、草刈取りをしておきます。ゴミなども落ちていたら拾いましょう。
掃除が終わったらお供えをします。
花立てに水をいれてお花を飾ります。花立ては対なので、お花を2束用意するようにしましょう。
果物や菓子などの食べ物は、綺麗に墓石の上に置いてお供えをします。お盆や半紙などの上にお供えをしてもよろしいと思います。
ろうそくと線香を供えます。
ローソクに火を灯しながら、線香の束に火をつけます。人数分のお線香を用意してからつけるのが一般的です。
お参りします。
胸の前で左右の手のひらを合わせ、軽く目を閉じて頭を30度ほど傾けます。ご家族様のご様子などお話されるとよろしいと思います。
片付けをします。
お供え物は、鳥や小動物などにいたずらされないよう、持ち帰りましょう。

お墓参りはマナーを守って気持ち良く

地域の習慣や宗派によって多少の違いはあるようですが、マナーや作法を守りご先祖様に感謝の気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。
皆様の墓つくりをサポートいたします。お気軽にご相談くださいませ。
まごころレディ-成田めぐみ
成田めぐみ

お墓参りにはお線香をあげる方がほとんどだと思います。
その「お線香をあげる」行為にどのような意味が込められているのでしょうか。

お線香は故人の食べ物

「人は亡くなったあと、仏の世界へ旅立ち生まれ変わるまでの四十九日間、香を食す」と言われています。
亡くなったあと、食べ物を味わったり飲み込んだりできないため、お線香の香りだけを食べると考えられているそうです。
最近では、白檀(ビャクダン)などの香木の香りやラベンダーやフローラルなどのアロマ系の香りのついたお線香があります。
故人が好きだった香りのついたお線香をあげて供養することで喜んでもらえるのではないでしょうか。

お線香で故人と心つながる

お線香をあげる行為にはもう一つの意味があります。
お線香をあげる方、ご自身の心身を清める意味も込められております。
お墓参りで故人に挨拶をする前に心と身体を一掃することをお勧めします。
ご自身の身を清めたあとは、仏様と向き合い、近況報告や想い出話し、また生前に話せなかったことなどを伝えることで心を通わせ繋がると思います。

どんなお悩みもプロとして適切にそしてお気持ちを汲んでご提案していきます。

まごころレディ-寺澤美紀
寺澤

和型墓石で竿石に彫刻をいれる際には、一般的に「家名」か「宗派に関する文字」のどちらかを彫刻することが多いです。

家名を彫刻する場合

代表的な例としては、「佐藤家之墓」「先祖代々之墓」「佐藤家先祖代々」「佐藤家先祖代々之墓」などがあります。

各宗派によって彫刻する場合

それぞれ宗派によって彫刻する文字の例としては以下ものがあります。

浄土宗
南無阿弥陀佛
浄土真宗
南無阿弥陀佛/倶會一處
臨済宗
南無釋迦牟尼佛
曹洞宗
南無釋迦牟尼佛
日蓮宗
南無妙法蓮華経
日蓮正宗
妙法蓮華経
神道
先祖代々之奥津城
天理教
先祖代々之奥津城/○○家奥津城

代表的にこれらのように彫刻されることが多いです。
必ずそのように彫刻をしなければいけないという決まりではございませんので、同じ宗派のお墓が周りにおありでしたら周囲の彫刻がどうされているかも一度ご確認されてみてはいかがでしょうか。

彫刻する書体について

一般的に多く使われている「楷書体」、筆書きのような味わいがある「行書体」、
八分隷・八分・分書とも呼ばれる歴史の古い「隷書体」などからお選びいただいております。
その他にも、ご家族様などが自筆でかかれた書を彫刻することもできます。
彫刻のことで迷われた場合は、ぜひご相談下さいませ。

まごころスタッフ-乙部ゆう子
乙部

私たち日本人はお盆やお彼岸、命日にはお墓参りに当然のようにお参りに行きますよね。
そういえば、お墓っていつからあるんだろう…?そんな、お墓の歴史を今回はお墓ディレクターの本間が調べて参りました。

始まりは縄文時代?

お墓参り。調べてみるとその歴史は縄文時代に遡ります。
青森県で発見された「三内丸山遺跡」は縄文時代を代表する遺跡ですよね。お墓になんの関係があるの?と思われるかもいらっしゃるかもしれませんが実はこの三内丸山遺跡が「日本人のお墓の原点」なのです。遺跡発掘の際、当時住んでいた人々の集落跡が発見されています。そこには海から村落へと続く道路沿いにたくさんのお墓お墓を作っていることが判明したのです。
村に入るときには必ずお墓の前を通らなければ集落には着けない地形になっています。おそらく人々は海からの恵みを村に運ぶ際に「今日はこんなに大量だったよ」と亡くなった親やご先祖様に報告したり捧げものしていたのではないでしょうか。まさに現代のお墓と同じように、亡き人に語りかけていたんですね。また、大人のお墓とは別に、子供のお墓を自分たちが暮らす家のすぐそばに造っていたそうです。その光景に縄文人の愛情が感じられませんか?お墓の原点が遺跡から発見されるとは驚きですね。

お墓の歴史はあたらしい!?

日本人にとって、亡き人を敬い身近に感じていたことは、仏教が伝来する何千年も前から人々の心に根付いていたものと考えられます。
では、現代のように「お墓」としての形が出来上がったのはいつ頃かというと、意外と新しく江戸中期の頃からだと言われています。しかし、その頃はまだ一部の富裕層を中心としており、一般庶民には遠い存在だったようです。そして、時代を経て昭和30年ころにようやく日本が豊かになり、霊園という形態の墓地が定着してきたことがお墓の広がりへと結び付いて行きました。また、お墓と言ってもそのとらえ方に変化が見られます。元来は一族で守るという意識がありましたが、戦後の新民法によって家族制度が希薄となり、一家の墓から個人の墓へと考え方も多岐にわたっていくようになりました。

お墓は心の寄りどころ

皆様、お墓参りに行かれた時のことを思い出してみてください。お墓を掃除し、お花や供物を奉げ、手を合わせてご先祖様を思い浮かべるのではないでしょうか。家族の健康を願ったり普段の生活の中で起きた様々なことや中には悩み事などを語りかける方もいらっしゃると思います。そんな時、なんとなく心がすーっとなることはありませんか。私たち日本人は無意識のうちにお墓を心のよりどころしてとらえているのではないでしょうか。時代の流れによってお墓も変化をとげておりますが、この心だけはいつまでも持ち続けたいものですね。

本間

お墓参りに行くときの服装はどのようなものがいいのか迷われる方もいらっしゃると思います。
お墓参りの服装は、お墓参りの内容によって変えるといいようです。

お墓参りの服装は?

お葬式やご法要などの特別な日以外にお墓参りに行くときには普段着で構いません。
ただ、派手で華美な服装は避け、あまりカジュアルになりすぎないようにしましょう。
アクセサリーなども石に当たると墓石を傷つけてしまう可能性もあるので注意してください。

お墓のお掃除として行く場合には、動きやすく濡れてもよい格好が良いでしょう。

ご法要の日には喪服か準喪服を着るのがマナーとされています。

内容に合わせて服装を選んでみてください。

喪服はなぜ黒い?

喪服はなぜ黒なのでしょうか?
現代日本の喪服は黒ですが、実は昔は白だったのです。
「日本書記」などの古い書物では、白だったとされています。
しかし、平安時代に法令で「天皇は直系二親等以上の喪の際には、墨染めの色を着用すること」と定められたのをきっかけに、黒の喪服が少しずつ広まり、平安後期には一般的に黒が着られるようになりました。
室町時代になると、黒い布を染めるには手間がかかるということから、庶民の間では白い喪服が使われました。
その後、明治時代には皇室の喪服が黒と定められました。
戦争が始まると葬儀も多くなり、一般庶民も汚れやすい白よりも黒を着るようになり、戦後は急速に黒い喪服が広まったということです。

まごころレディ-太田未央
太田